予測変換は否定しないけど気にいらない

http://cpplover.blogspot.com/2009/12/blog-post_9493.html
予測変換の技術とか、そういうのを否定するつもりはないんだけど、あまり使いたいとは思わないなぁ。
あんまり賢すぎると、自分の知ってる以上のかっこいい日本語とか使ってしまいそうなのがいやで、まぁかっこいいことはいいことだけど、それは何か私がコンピュータで補完されてる率が高くて、私ではない度が大きくなって、違うんだそれは私よりかっこいい何かであって私じゃないんだ。

あと、私の言い回しの癖や、よく使う言葉を学習すると、それが優先して候補に挙げられるけど、たとえ自分の脳内の候補リストの並びと、IMのそれが同じでも、IMは私の外だし、IMが私の鏡写しとは思えない。思えないというか、そう認める・受け入れることはできない。それが他の人から見てうり二つでも。気持ちの問題。
学習したIMの候補リストから言葉を選ぶのは、よくできた私のモノマネを見せられて、それを自分としているような感じなので、やっぱり私じゃない。
気持ちの問題ってだけで、傍からみて違いはないのかもしれないけど、書くのは自分なんだし、自分が納得いかない文を書いてどうするの?それなら書かないほうがいいじゃない!

なんで自分じゃないことがそんなに嫌なのかというと、自分じゃなくてもいいなら自分でやる必要がないじゃない。まぁこれは極端だけど、自分でやる以上は自分でないといやでしょう普通。お金のためなら自分でなくなることも時には必要なんだろうけど、twitterとか日記は自主的な活動だし、それをやるのは自分を表現したいからっていうのが、どんな人でも少なからずあると思う。

とは言いつつも、それも程度の問題で、「測る」「計る」「量る」の使いわけとかは思いっきり変換システムに頼っているのだけど。いや、変換システムというより、変換候補の横にでる注釈か。
まぁ頼ってるけど、それ以上については私が決定したいから、つまりSKKはすばらしいですね。

あと、別に人に対して「予測変換とかに頼るなよ!」と言いたいわけじゃなくて、まぁ思想というか、宗教ですね。勧誘とかはしないし、人の信仰を否定したりもしません。いや勧誘はします。