不定期的「言語むつかしい」タイム

上のエントリ書きながら思ったんだけど、句読点多すぎても読むのにどうも詰まってしまうし、少ないと節が分かりにくくなってしまう。
だから節を入れかえたり、肯定と否定、能動と受動を逆にしたりするんだけど、そうすると、文が表わす事象は同じでも、元の文にこめようとした感覚的な何か(その文の指すことを、コッチ側に立って見てほしい、的な)が木っ端微塵に破壊される…
しかも良かれと思って文をいじったのに、全然伝わってないとか間違って伝わるとか、もういや…お前ら俺と同じ脳味噌つけて、リアルタイムに俺の脳味噌と同期とって構造を保って、一切の勝手な変化をするんじゃない。